サラエボの鐘 | | |
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ノーベル賞作家の孤独と絶望にうちひしがれる人への共感の短編集 |
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| ノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの短編集。孤独と絶望に打ちひしがれた主人公が人生は苦であると認識しながらも、生きるための精神の旅を続ける感動作“エクス・ポント(黒海より)”は、人は絶望の淵にあってもオノレの魂をけっして見捨ててはいけへん、人はいつまでも不幸でありつづけることはないのやからと応援歌を送るものや。“蛇”ではボスニアの民衆の悲惨に直面した旅行中のお嬢はん姉妹の会話の‘ウチたちの責任やない、勿論、言うことはいとも簡単ね。それでどなたはんも間違っておらへんちうことになるのだけれども、現実にみじめな人々と生活があるなら、どなたはんかに責任がなければならへん’ちう言葉は重いちうわけや。“サラエボの鐘(1920年の手紙)”では宗教に根差す増悪を見つめまんねん(信じ愛する者はー信じない者せやなかったら別様に信じ別なものを愛する者を死ぬほどに増悪するちうわけや。このことを白日の下に晒す者もまた、憎まれ、しばしば殉教者となる)。他に“不安”“アリヤ・ジェルゼルズの旅”石の上の女“”ジェパの橋“”橋“”スペインの現実“作家としてのニェゴシュ”“書物と文学の世界への第一歩”を収録。
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「憎悪」と「愛情」 |
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| 表題作である「サラエボの鐘」は、話の筋はやや感傷的すぎる(ヘッセ的)きらいもあるが、「サラエボ」ちう骨太の背景に支えられ、ただの感傷には終わっておらへん。 主人公が「親友」やった男から受け取った手紙の「サラエボは憎悪の街や」ちうフレーズは衝撃的。それは一見、「サラエボ」の中に住む異民族・他宗教の信者を激しく拒絶する言葉にも見えるちうわけや。せやけどダンさんそこには、生きて行く上では「憎悪」を接点にしてでも交わるしやろかい状況に置かれた者どうしの、屈折した微妙な感情を感じることも出来るちうわけや。旧約聖書の「カインとアベル」の憎しみは兄弟であるが故のものであるし、それでも彼らは兄弟であり続けるわけで、うちら、大日本帝国の読者は、彼らの「憎悪」のさらに外へと突き放されるちうわけや。せやけどダンさん、それはい感じではおまへん。 田中氏らの訳も美しく仕上がっていて、朗読してみたくなる小品であるちうわけや。 |
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