| 裏づけのある論理的な文章の端々に見え隠れする、身近な景観の醜さに対する怒り。私は、著者とその怒りを共有する者である。うっとうしい電線、ド派手は量販店の看板、欧米と比してあまりに絵にならない街並…。なぜ、日本はこうなってしまったのか?経済優先の土地利用に抗して景観を守る理論的根拠は?実際に景観をよくする上で何が問題か?この本は、具体例を通じ、それらの疑問に答えようとする。 なぜ戦後日本の景観がひどいものになったかについての典型例として神戸市を例に挙げ、そこに、山を切り崩し埋立地を作るという作業の恒常化による雇用の創出・維持、本来そのの是非を問うべき議会や専門委員会、裁判所の機能不全、というパタンを見て取っている。一方、景観を守る理論的根拠としてロッ ??の所有権を挙げ、景観とはそこに住む人の人格の一部なのであるからその時間的空間的不連続は許されないという論理を、真鶴町の「美の条例」を題材に展開している。電柱地中化問題では、近年、政府・自治体や事業者(電力会社など)の意識が変わりつつあり、非常にゆっくりではあるが地中化は進んでいる。しかしながら、住民の意識の向上や理解・協力が不可欠であると論じている。 最後の電柱地中化問題でも見え隠れするが、景観問題は、結局は、日本人自身の意識の問題だと思う。しかしながら、悲しいかな多くの日本人は、自分の住んでいる社会を自分とは無関係なものと捉え、その結果、ごくごく狭い時空間範囲でしか利害を考えることはできない。日本の景観とは、そのような日本人の意識の狭さの産物だと私は考える。しかし、だからこそ、景観についての研究はより重要であろう。「美の条例」で謳われるような広い時空間利害を、建造物を建てる主体の直接の利害へと変換する理論・公式の構築こそ急がれねばならず、本書は、その端緒となった啓蒙書という評価を将来得るかもしれない。 |