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| | | 渋谷 |
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写真を撮る、撮られるということ |
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| 東京漂流、乳の海、そして渋谷。今回は写真が少ないのがちょっと残念ですが、内容はさすがです。こんなふうにあたたかくありのままを受け入れられる眼差しをどうやったら持てるのでしょうか。
ここに登場する3人の少女たちの物語はそれぞれに悲しく、つらくなります。かつて少女だった私が彼女たちの気持ちに共感する部分と、2人の娘の母親として、この少女たちの母たちの気持ちもとてもよくわかるからでしょうか。
うち、2人の少女が、撮影されたことによって自分の立ち位置を得て新たな一歩を踏み出すことに救われます。写真を撮られることによって今現在の姿を肯定してもらえたから、次に進めたのだというくだりには、はっとさせられてしまいました。自分は娘たちの今の姿を、さらに、自分の今の姿を肯定しているのだろうかと。
娘の持っているプリクラ帳には、私の前ではめったに見せない娘の顔があります。彼女達も自分の不在に対して、自らの手で承認を与えているのでしょうか。
そして自分、写真を撮られることが昔から大嫌いな私は、今の自分を肯定するすべを持っていません。今度家族で写真を撮ってもらおうと素直に思ってしまいました。
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不覚にもラストに号泣。 |
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| 渋谷という一日五十万人が行き交うスクランブル交差点を抱える街は、四方坂になっており、戦争で原子炉が爆破されるかサリン等がばらまかれたりしたならば逃げた方がいいとの行間に、よもや自分と云うこの世で一等巨大な空洞シェルターに辿り着いたならば、逃げろ、狂ってしまう!といった警告を感じた。 とりもなおさず、ここに出でくる少女達は、その自分の空洞に彷徨い直視しつつ、仮に身を売り死に急いでも、この現世から居場所がなくなることを貪欲なまでに危惧せぬ時代思潮問わぬ普遍の諦観が恐ろしい程に感じられる。 なぜならば、ここに出てくる少女達は、安住の地、偽り、幻、夢………といった言葉の群れを「自分」などと詭弁化しない点にある。寧ろその場所が偽りだと自覚すれば、その場を離れる強さを兼ね備えている。その、「その場所」とは全編を通して感情という意味での自分すなわち不毛なデフォルメを盲信しない。真の退廃とは、他者が軽々しく踏み込める場所にはないとの愛情を識る力作。 |
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