甘粕は大杉事件により、30過ぎで早々に軍人としてのキャリアを捨て、その後の20数年の軍外での人生、特に満州での約15年の暗躍が、甘粕の名を歴史に刻むことになる。 それにも関わらず、本書のタイトルは「甘粕正彦」ではなく「甘粕大尉」である。 それには、2点意義がある。 まずは、甘粕が大尉として関わった大杉事件が、甘粕の人生の出発点であったということ。 甘粕が大杉事件の下手人か否かは、軍法会議での多くの疑問を指摘しつつも本書では結局結論づけられていないが、事件の全責任を取り、その後の人生のあらゆる場面で大杉殺害犯としての誹りを甘受した。 そのことが甘粕の評価を高め、同時に甘粕を近寄りがたい男にもした。そして次に、皮肉なことに早々に軍人の道を外れた甘粕こそが、昭和期を通じて、陸軍の最も理想的な軍人の一人であったという事実。 強い愛国心と天皇への忠誠心、規律を遵守する強い意志、目的達成のために慣習に囚われない合理的思考、組織を統率するための強いリーダーシップと部下へ優しさや人情味、人脈作りと情報収集能力、どれをとっても並の軍人には及ばない実力を、甘粕は満州で発揮した。 本書は甘粕の裏面(諜報活動や阿片取引など)について詳しくは述べてはいないが、甘粕が表社会でも裏社会でも人望を得た背景にある複雑な人間的魅力を、著者は丹念に説明している。 同時に、表紙の写真が、澄み切った強い意思と冷酷さ、大いなる諦念が共存している甘粕の魅力を物語っている。 |