吉本氏は書く。 「思想がたまたま仏教の形をとらざるを得ない時代だったから仏教的であったに過ぎない」しかし、これを逆説的に説くとこうなる。「親鸞は果たして仏教徒である前に思想家であったのか?」この本の初版は昭和51年だがこの時点で後にオウム事件で麻原を擁護する根拠となった視点がこの時点でいくつかすでに見受けられるのに驚く。 特に吉本の親鸞論における最大の問題は親鸞における「機の信心」と「自然法爾」つまり信じるには自分が悪人である自覚は要らない。ということと全ての知恵を捨て、信でさえも捨てただこのままでよい。と言い切った点である。 だが、だが吉本のいう自然とは全ての知恵を捨てていない。単なる自己満足と根拠の無い自己肯定の世界の中に自分を置いているだけである。 |