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 最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)
最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)
 
¥ 1,050
発売日:2002-09
筑摩書房
オススメ度:
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■  非思想家・非生活者を生きる
前半はわかりやすかったが、後半は難しかった。
きっと、吉本さんは「非僧・非俗」に生きる親鸞に仮託して、自分の思想家としてのあるべき姿を述べていると感じた。
それはきっと「非思想家・非生活者」ではないだろうか、と推測しているのだが、どうだろう。
大学教授といった思想家風にもならず、阪神タイガースを愛しながらも俗に落ちずに猫を愛する吉本さんの生活は、まさにそんな感じかと思ったのだが。

■  吉本隆明の思想のエッセンス
本書は、著者の考え方の根底が割合とストレートに出ている作品だったと記憶している。真理とは逆説的な形で常識的なことを語ることでしかないこと、これが本書のバックボーンにあるように記憶している。意外というか、やっぱりというか、小林秀雄や、かつて著者がやや批判的に述べていた今西錦司などにも、どこか似ている。「日本の思想」とは案外こういう辺りなのか。キリスト教の伝統の中で育まれてきた西欧思想と、同じ次元では考えられないものがある。西欧の哲学が、「水平線」の上の部分を論理で積み上げることに主眼があったとして、日本の思想は、「水平線」の下の部分に主眼があったのか。生きていくことへの自身の問いがそれであって、人に知らしめたり説得することに主眼は無い。分かって貰えないなら仕方が無いし、本人が会得できたかどうか、そこが問題で、人が評価することでもない。そんなことが、本書のバックボーンだし、日本の思想の姿とも思えた。

■  親鸞は「思想」したか?
吉本氏は書く。
「思想がたまたま仏教の形をとらざるを得ない時代だったから仏教的であったに過ぎない」しかし、これを逆説的に説くとこうなる。「親鸞は果たして仏教徒である前に思想家であったのか?」

この本の初版は昭和51年だがこの時点で後にオウム事件で麻原を擁護する根拠となった視点がこの時点でいくつかすでに見受けられるのに驚く。

特に吉本の親鸞論における最大の問題は親鸞における「機の信心」と「自然法爾」つまり信じるには自分が悪人である自覚は要らない。ということと全ての知恵を捨て、信でさえも捨てただこのままでよい。と言い切った点である。

だが、だが吉本のいう自然とは全ての知恵を捨てていない。単なる自己満足と根拠の無い自己肯定の世界の中に自分を置いているだけである。


 
 
 
 
  
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