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| | | シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫) |
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分ったような気になります。 |
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| シュルレアリスムとは何か、メルヘンとは何か、ユートピアとは何かの三回の講演記録。特に、シュルレアリスムの項は、おそらく、誤解しているシュルレアリスムをわかりやすく解説している。人物では、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンスト。用語では、自動記述、オブジェ、コラージュ、デペイズマンがキーワード。また、脚注が優れていて、参考になる書籍や言葉の意味が紹介されている。
超現実と現実は繋がっている。ここでいう超は「超える」ではなく、超スピードの超の意味にとるほうがわかりやすい。「現実」と「超現実」との間は、度合いや段階の差しかなく、連続している。「連続性」がヒント。「いつも見なれたおなじ町を歩いていて、ふだんは気がついていないんだけれども、あるときその町がちがうふうに見えてくる、なんでいうことはよくあります。(中略)道ばたをふと見ると石がおちていて、それが不思議な形をしていて、思わず拾ってきたくなる。鳥なら鳥の形をした石があって、つぎの瞬間にまた別の出来事がおこり、そこへ鳥がとんできて何か奇妙な動きをするとか、そんなようなことは案外よくあるんじゃないか。そこらへんから『超現実』を出発させたっていいわけです」(本文27P〜28P)
なんとなくではあるが、シュルレアリスムが分かったような気にさせてくれる講演です。
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シュルレアリスムに対し積極的になろう |
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| おもしろく、かつ読みやすい本であると思う。というもの、講義ということもあり、語り口調で穏やかに進んでいく構成をとっているからだ。そのため、あっという間によめてしまう。
シュルレアリスムとは、一般的に日本で使われているような、「変わった、風変わりな」という意味ではなく、「現実社会に潜在する、“私”を介さないオブジェとしての現実」という風に理解することができた。私たちが普段している代表的なシュルレアリスム体験はやはり、夢だろう。確かに夢は、自意識ではコントロールできないが、確かに存在し、感知することができる。
しかし、残念なのは、夢以外にシュルレアリスムの具体的体験があまり思い出せないことだ。よって、概念ではわかっても、リアリティを伴って理解できていないところがある。やはり、意識してシュルレアリスムを見つけようとする努力は必要なのかもしれない。 |
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ふむふむ×10 |
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| 副題に「超現実的講義」とあるように、著者が1993年から翌年にかけて渋谷のCWS(Creative Writing School)にておこなった講義をもとにあまれた一冊。三部構成で、順にシュルレアリスム・メルヘン・ユートピアが口語調でやさしく語られ、まったくの素人でもすんなりとはいっていくことができた。
第一部では、シュルレアリスムの語義をときほぐしながら、この語にまつわる通俗的な誤解がやんわりとたしなめられる。そして、一義的には定義を定め難いシュルレアリスム運動のそもそもの根本動機について、おもにブルトンの『宣言』を参照にしながら、適宜エルンスト、ダリ、マグリット、キリコらの絵画にも触れつつ語られる。
第二部以降でとりあげられるメルヘンやユートピアは、いっけんするとシュルレアリスムとは無関係に個々に独立した主題であるかのような印象をうける。もちろんそうした位置づけで読んでもおもしろいことがたくさん書かれているし、またシュルレアリスム運動のさらなる展開や深化についてもっと積極的に触れてほしかった、との思いがわかないわけではない。けれども、たとえばメルヘンと童話や神話との違いが論じられるなかで、シュルレアリスムとの異同も浮びあがってくるというスリリングな仕掛けもじつはほどこされている。 |
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