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| | | 知の構築とその呪縛 (ちくま学芸文庫) |
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現代人に一読の価値あり |
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| 本書は近代科学によって構築された世界観とそれ以前の世界観とを対照とし、その融合を試みる内容となっている。我々には既に当たり前になっている、科学に支配された世界観を見つめ直すには最適な本であると思う。このテーマにはありがちな西洋思想対東洋思想という構造をとっていない点も面白い。また近代以降と近代以前の世界観を融合しようとする構想はかなりダイナミックなのに、その展開は慎重であることも大変魅力的だった。個人的には気軽に手にして、これほど得るものがあった著書に出会ったことがないように思う。何度も読み返したい一冊である。
論理展開はわかりやすく、趣旨がはっきりしていて非常に読みやすい。また専門的という意味での難解さもないので、読者を選ぶということもなさそうだ。二十年以上昔に書かれたことも、特に気にならない。ちなみに解説は野矢啓一氏が担当している。「BOOK」データベースのレビューも野矢氏によるもの。大森氏の理想に対する賛否を問わず、多くの人におすすめしたい良書。少しでも興味を持たれた方は是非。
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“古代中世の常識”で著者の目論見は実現しない。 |
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| 「文庫版のはしがき」で、著者は“常識を世界の「略画」と見るならば、科学は世界の「密画」に当たる。…(中略)…この略画的常識から密画的科学に展開してゆく道条の上で、感覚や感情を始めとする人間の「心」に帰属する一切が科学から排除された。”と述べる。そして、この「心」を復権すべく登場した脳生理学に見込みはないので、“この脳生理学に代えて「重ね描き」の概念を本書で提案する。”のだと言う。その意図は、“現代の密画的世界観に古代中世の略画的描法を重ねうること、そしてそれによって死せる自然を今一度活性化しうること”(p.71)だと表明する。
「心」を復権しようとする著者の視点は時代の要請でもある。「心」を失った人間の身体は死せる物質だから科学が適用できる。しかし生きている「心」を有する人間を科学は解明できない。著者は、科学の代わりに“古代中世の常識”で「心」を解明できると考えたようであるが、扱う次元が異なるので「重ね描き」は成功しないであろう。
ただ、p.184の「同一性」の説明などは「瞬間的存在」を説いたダルマキールティ(参照:谷貞志著『無常の哲学』)を彷彿とさせる。さらに、「知覚因果説」を否定するための論理展開(p.196〜234)も仏教論理学(アビダンマ)を連想させる。上座仏教の“アビダンマ”は、物質としての身体、人間の感情、人間の心、身体と心の法則の4つを取り扱うので、“アビダンマ”を「略画」として用いるならば「重ね描き」は成功するかも知れない。
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思い込みに気づかせてくれます。 |
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| 本書は科学が何を明らかにし得るもので、何を明らかにできないのかを、すっきり整理してくれる。そして、日常生活におけるリアリティの構造を明らかにしている。著者による、デカルト以来の「主観−客観」問題の解決の仕方、死物化した自然に生命を取り戻すやり方は、読者の意表を突くだろう。ヨーロッパ近代の毒を、その妥当な側面を決して切り捨てずに解毒するには、絶好の一冊である。 |
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