何年か前に、ある講演会で著者の話を聞いたことがある。 座っているより立っている方が楽だから、と、立ったまま話をしてくれた。 話すことすべてに経験の裏付けがあり、興味深く、説得力があった。 現場で旋盤を使っているような職人の中から一千万プレーヤーを出すのが夢だと言っていた。製品化にあたって重要な部分を支えているのに、日があたらないのだ。 その後、やはり京浜工業地区で会社を経営している人の話を聞いたが、管理職手当と合わせて一千万を越える人は出ているが、現場の仕事だけでは難しい、と言っていた。 この本が書かれたのは一九八五年。もう十五年以上前のことだが、おそらく、書かれていることは今でも当てはまることばかりだろう。 原発で事故があったときに、ステンレスで作るべき製品が銅合金で作られいたのが原因だとわかった。それを聞いた、著者の同僚は、「ひとめ見ればわかりそうなものじゃねえか」といぶかしがる。「自分の眼で、金属の光沢や色あいでみわけることもできずに、貼ってあるラベルを信用したことが、彼にはむしろ不思議だった。」(p18)という。 ものを見る眼が失われているのだ。 現代社会に警鐘を鳴らす本でもある。 |