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| | | 妊娠小説 (ちくま文庫) |
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妊娠というモノサシだけでピンからキリまでを切る快感 |
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| いわずと知れた斎藤美奈子デビュー作である。
小説の中で「妊娠」が登場するや、「パンパカパーン」と表現してその「喜び(?)」を全身であらわし、あえて「妊娠小説喰い」へ邁進した著者、もちろん冗談でもご苦労様なことであった。
「ここにも」「そこにも」「あそこにも」といった具合に、「妊娠」に視点を固定すると、まことに多くのサンプルがざくざく見つかる快感に、さぞや作業がはかどったことであろう。
妊娠とは時間との闘いであるために、一旦登場するや「ハラハラ」が独特な緊張感となって響いてしまい、小説の中で解決を見るまで、その後の展開にずっと影響を与える。
斎藤はこれを「妊娠小説」と命名した。もちろん、これはフェミの視点なくしては有り得なかった。ただし、「妊娠小説」の時点でフェミを見破ったものは何%くらいいたのだろうか。
斎藤が本当に語りたかったのは、「お話」の都合で体よく妊娠させられたり、流産させられたり、はたまた中絶させられたりしているその勝手さがまかり通る男性優位の文学界と、それを当然のものとしている読者であった。「最近の芸能界も妊娠小説と化しているじゃないか。小説というフィクションの世界だけではなく、現実でもそうなのではないか」とも思えるが、それはやはり計画的と考えたほうが正しいと思う。斎藤のいう「妊娠小説」は、あくまでも「想定外」の妊娠でならなくてはならないし、小説という土俵上でのご都合を指す。
森鴎外であろうが、村上春樹であろうが、「妊娠」というモノサシのもとでは、同じ基準で裁かれる。それが痛快なのだ。渡辺淳一には「死ぬほど多くの」妊娠小説がある、と評したのは満塁ホームラン。 |
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ジャンル捜索の視点 |
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| なかなかユニークな視点である。
序章から様々な文学作品を妊娠小説のまな板に載せて、
フェミニスト作家特有の口調で手を変え品を変えバサバサ捌いていく。
スコアボードで分析する方法などは少しばかり感心させられた。
ところが、後半になり息切れしてきたのか、
ろくな論証もしない一方的な決めつけが頻発し始め(特に語り手たちの誤解のくだりから酷くなる)
文章も愚痴っぽくなって退屈になる。
結果、一発芸が間延びしてしまったような印象の読後感。 |
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「文芸評論家」斎藤美奈子の衝(笑?)撃のデビュー作 |
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| 毒舌と笑いの批評家斎藤美奈子の衝(笑?)撃の処女作。「妊娠小説」という定義と言葉、とにかく視点が新しかった…というかこんなこと誰も考えもしなかったであろう。たぶん違うだろうが、彼女はこの一作のために「文芸評論家」を名乗ったのではないかと思えるくらいの内容である。
「妊娠小説」の定義、森鴎外の「舞姫」から始まる妊娠小説の歴史、その仕組みと内容、とにかくよく考えられている。特に「妊娠小説のしくみ」「妊娠小説のなかみ」の章はよく練られている。そして面白すぎる。
解説にも書いてあるが、この作品の発表後、彼女はある文芸誌のもと編集者に“文学はこんなふうに読むものじゃない”としかられたそうである。とにかく「妊娠」に批評の的を絞りその作品全体の批評は殆どしていないので、そういう言い方もされるのだろう。しかし、小説をどのように読むかは人それぞれなのだから、こんな批評があってもいいはずである。しかも、それがかなり的を射ているだから。
批評家だとか評論家が書く文章は回りくどくて難解なものが多い。簡単な言葉で済むものもわざと難しくしているんじゃないのか、と思ったりする時もある。著者の批評には難解な言葉や言い回しはなくわかりやすい。例えの上手さ(評論家としては大事な資質だと思う)、斬新な切り口(斬新過ぎるときもあるが)、そして何より深刻ぶってけなすのではなく笑い飛ばしてしまうような余裕がいい。
著者はフェミニズム論者と思われているようなふしがあるが、本当にそうなのだろうか。この作品での分析(批評)の態度もそうだが、私にとって彼女は“性別に関係なく”鋭い突っ込みをみせる批評家であり、批評の中でけなされた作品でも読んでみようと思わせる優れた書評家である。 |
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