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唯幻論による一神教分析 |
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| 一神教文化と多神教文化の対比が、今日の世界情勢を考える上でのひとつの切り口ではないかと思い、一読した。際立った内容を有しているとは思えないが、いろいろな意味で議論を整理する上での一助にはなりそう。岸田氏のタネ本は、自らも明かしているように、フロイトの『モーセと一神教』(ちくま学芸文庫)とヴェーバーの『古代ユダヤ教』(岩波文庫)であり、要は、モーセはエジプト人で、彼が脱出を率いた被差別集団が一つの神の下に結集して成立したのが「ユダヤ人」に他ならず、その神は元々「戦闘神」として攻撃的排他的性格を有しており(そして、それが今日の米国に見られるような「十字軍的覇権主義」に繋がり)、キリスト教を押し付けられたヨーロッパ原住民たちは、多神教的価値観との相克に身悶えしつつも壊れた本能の代替物としてそれを受容したものの、しかしその「お仕着せ」的性格はやはり如何ともし難く、やがては自らが神にならんとして自然科学を発展させていったというもの。また、キリスト教世界とは異なり、「聖俗分離」(=本音と建前の使い分け)の未達成がイスラム教世界における自然科学発展の停滞を招いたとする。それにしても、「利害で争ってもいいが、ものの考え方の善悪、正誤については争わないことにすれば、残虐で破壊的な争いのほとんどは防げる」(156頁)というが、余りに楽観的に過ぎないか。 |
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一神教のおそろしさ |
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| 一神教が人々を苦しめている。というのは、養老猛司著「バカの壁」と同じ考え方であると感じた。
自分だけが正しいと考える一神教は、他の考え方を理解できず、場合によっては人間とみなすことさえしない。岸田秀氏のこの著書は精神分析の立場から一神教の恐ろしさについて理論的にアプローチをしている。
現在、アメリカ主導のテロとの戦いを我々日本も戦っている形になっている。相手がイスラムであれ、共産主義であれ、本来はキリスト教の敵であって我々日本人の敵ではない。
全世界の2/3は一神教を信仰しているというが、人類は一神教を克服できるのだろうか。
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科学もマルクス主義も「一神教」!?、検証できなくても治療ができればいいのだが、… |
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| ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を果たしたのは、強烈な被害者意識があったからだという。それをもたらしたのは、白人の始まりが白子で、そのために黒人から差別されたことと、ローマ帝国に無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。そのキリスト教などの一神教は、それ自体が元々虐げられた者の宗教で、それを信じる者のみを絶対化し、侵略を躊躇なく推し進める原動力となったのだという。
しかし、そのキリスト教はあくまで押しつけられたものであり、無意識のうちにそれを超えようとして、世界を統一する別の原理を求めたことから近代科学が生まれたという。また、マルクス主義も、被害者の団結をエネルギー源とする戦闘性に溢れており、キリスト教の別形態であるとする。
これらの論考は、筋が通っていると思うが、説得力という点では、「ほかにどんな原因が考えられるでしょうか」というような言い方がされていることが気になる。白人の起源については、分子生物学などから答えが出るかもしれない。しかし、それが正しかったとしても、そのことやキリスト教の押しつけによる屈辱感が、集団の心の底に何らかの形で保持されていて、影響を与えているということを検証するのはなかなか困難であろう。
人は、異常な事件がトラウマとなり、それを正当化するためにちぐはぐな物語をつくってしまって、神経症となり不適応をまねくという。迫害された不幸な民も、同じようなことをしてしまうのだという。神経症治療では、ちぐはぐな物語を何とか一応筋の通った物語へ書き替えるのだという。そこでは、理論の検証よりも症状の改善が求められるであろう。集団についても、不適切な行動がなされる部分は変えることが求められる。敵を求めて戦わずにはいられないようにみえる、某国の症状を改善することは、どうしたら可能なのであろうか。この本を読んでそんなことを考えてしまった。 |
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単なる宗教論ではない |
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| ウェーバー的な意味での宗教、つまりエートス(人間の行動様式)としての宗教分析が本書の中身です。つまり、宗教論というよりも文化論という方が適切な内容です。 「白人の黒人への病的なまでの差別はもともと黒人から差別されたことのルサンチマンである」との指摘は、一見荒唐無稽なような気がしますが、よく考えてみればそうではありません。なぜなら「有色人種差別」をかたちづくるのはひとりひとりの感情ではなく(むしろ、「自分の知っている特定の黒人はイイヤツだ、というのが個人の感情)、白人全体としての共同幻想であれば、それが形成されてきた文化的背景として、すでに忘れ去られた過去の記憶だけがそういうかたちで生き残っている、ということはありうるからです。 アメリカは宗教国家であり、ブッシュが最もそういった傾向を端的に表している、という指摘はその通りでしょうし、「文明の衝突」のサミュエル・ハンチントン自身が「文明の対立は宗教の対立にほかならない」と言っていますので、彼の文明論を一神教と多神教という観点から見直したものとしても読むことができます。 この本の成功は、岸田氏自身もあとがきで述べているように、インタビュアーの三浦雅士氏の存在が大きいようです。該博な知識から的確な質問を引き出している手腕は見事なもので、実質的に共著と言えるでしょう。 |
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日本語で書かれた神についての本 |
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| これは神についての本です。この「一神教と多神教」という本は、神を前にして人類はどのように生きてきたかを描いた本です。 歴史の教科書では、神については形式通りの説明をするだけでその神を信じた人々の詳しい説明はしてきませんでした。そもそも日本には神はいないのですから神についての議論さえされてきませんでした。 そういった意味でこの本は重要です。なにしろ「一神教より多神教の方がいい」などと下手すれば殺されかねないような内容なのですから。 岸田氏のアルビノ説世界史で、キリスト教の誕生の歴史から、一神教の病理を読み解きます。神無き日本人にはピンときませんが、外国人、世界史を理解するのに役立つでしょう。いつか岸田唯幻論的世界史の本が書かれたら、この本の内容から書かれるのだと思われます 集団を精神分析することの理由は「ものぐさ精神分析」の「国家論」あたりを参考にしてみると良いかもしれません |