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 「わかる」ことは「かわる」こと
「わかる」ことは「かわる」こと
 
¥ 1,680
発売日:2004-12-11
河出書房新社
オススメ度:
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■  タイトルそのまんまですね。
知ろうとすることは、まさに今までの自分が変わるかも知れない。
知りたくないことは、自分が変わりたくないことだから、つまり今までの自分が死ぬっていうことなんでしょうね。
こころが入れ替わることは生まれ変わることなんでしょうね。
メタモルフォーゼというのかな?

■  現代教育の壁
なにげない対談の中に現代教育の壁を論じている。かつてあたりまえだった教育概念が変容している現代をスパイスの効いた対話で警告を与えている。昔がよかった、いや今がよいという二元論を越え「かわる」ことこそに教育の本質を問うやりとりが面白かった。

■  サイエンスは美しい
異なる方向を目指した二人の確かな融合。この二人でなければ、ここまで面白い対談にはならなかったと思います。知的興奮の連続。バッタバッタと切りまくる。縦横無尽とはまさにこのことか。臨場感を感じさせる文章も秀逸。二人の性格まで読み取れるよう。“用語解説”のわかりやすさも出色。門外漢には難しい専門用語にも、本書を読み進むに困らない程度の理解を与えてくれます。個人的に特に感銘を受けたところは「戦後教育の失敗」。長年、アタマの片隅で疼いていた問題が、そうだったのかと氷解した思い。物事の本質に迫るサイエンスは、やはり美しい。くだらない“ため”の知識を捨て、まずは目指せ「不良中年」でいこう。

■  グローバリストとジェネラリスト
冒頭、対談進行役の方が、「わが国の文・理分割教育は、理系から伸びやかな感性を、文系からは美しい論理の言葉を抹消してしまいました。」と言う佐治氏の言葉を紹介していますが、正に日本の知性、文化の危機的な状況を端的に表わしていると言えよう。もう日本にgeneralistは要らない。立て!全日本知識人よ!

■  マクロコスモスとミクロコスモス
片や、1/fゆらぎを扇風機に応用した理論物理学者。片や、ベストセラーを出しつづける解剖学者。それだけで、この対談の内容に興味がわいてくる。同じ科学の世界とはいえ、そんな両氏の間のいったいどんな部分で話がかみ合うというのだろうか?しかし、両氏の研究には実は意外な共通点があることが読み進むうちにわかるのである。佐治さんが宇宙の話をすれば、養老さんが感覚世界の話題でうける。宇宙がマクロコスモスだとすれば、人体の世界を掘り下げていった先にはミクロコスモスという宇宙が存在する。同じ「宇宙」を相手にしている両氏は、だから、違う視点で話をしていながら妙に話があうのである。養老さんが「数学には美的感覚が必要。」と言えば、佐治さんは「数学は情緒的なのです。そして、情緒とは人の心がわかること。自分とあなたを入れ替えて考えること。」と応える。科学の話をしていても、両氏の話題には何か潤いが感じられる。「ただ知る」というのは「知識」であり、「わかる」というのは自分や人のなにかが「変わる」ことである。こういう言葉には、人間に対する両氏のやさしい眼差しが感じられる。人生の年輪からにじみ出たような興味深いエピソードの数々を楽しみながら読み進めていくと佐治さんは、どうやら宇宙の研究を通して自分を含めた人類の存在の意義に迫ろうとしているように見えるし、養老さんは、解剖学から人体の神秘や人間の思考の深淵に迫ることを自らの研究の動機としているように思えてくる。両氏にとって科学とは、生命や自然、それを包含する宇宙というものに対して、謎解きの手段なのであろう。両氏の科学に対する謙虚なそれでいてとても前向きな姿勢がそれを物語っている。つきることのない好奇心は絶えず新たな探求の対象を生みだし続ける。くつろいだ雰囲気のなかで交わされる歓談を通して、そんな両氏のエナジーに触れることができる1冊と言える。

 
 
 
 
  
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