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右翼の大物が書いた、右翼批判本 |
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| 著者が右翼の大物だというのは、読む前から知っていました。
どんな極右な言動をするのか…と思って読み始めましたが、
そうした期待は良い意味で裏切られました。
若い頃から「愛国」を大声で叫んできた著者が「愛国心」とは何か?を自らに問いかけつつ、
ネットをはじめとした「右向け右」な現状に疑問をぶつける。
つまり「ネット右翼」と呼ばれる人々読んで欲しくて書いたのだろう。
彼らからの反発を期待しているようにも思える。
もっと、ネット右翼からの批判・罵倒のコメントが多数寄せられているとばかり思っていたので。
ということは著者が一番読んで欲しいと思った「ネット右翼」の皆様はこの本を読んでいないということでしょうか。 |
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真っ当な意見 |
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| 自分の気に入らない言論を吐く人物を、「ウヨク」だの「サヨク」だのの二元論で直ちに他者化してしまうような低劣な議論がはびこる昨今において、一服の清涼剤とでも言うべきエッセイ。私は、よく「反日」とか「サヨク」とかレッテルを貼られることがあるが、2、3の細かな点を除けば、著者と全く同意見である。どれが本物の「愛国心」かなどを競ってみても、結局は内ゲバにしかならず、不毛なことこの上ない。ナショナリズムを煽ると、それは必ず自分達にブーメランのように帰ってくることになる。 |
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題名にだまされた感じ |
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| 勝手に「愛国」と声高に叫んでいたものの変節ぶりや、調査で最近のネット右翼らがどう考えているのか等の内容だと見当をつけて読み始めたので、三島は兎も角、天皇に焦点を合わせ、大きくページを割いている本書は、正直期待はずれでした。
著者が学生時代に運動していた頃、行動を共にしていた右翼の同士は多くが普通の勤め人となり、著者に「まだやってんのか?」と声をかけます。
安保で盛り上がった学生運動者が、今では体制の補完物として管理する側に回っているのも、運動理念自体を信念をもって遂行していたのではなく、難しい事は分からないがとにかく騒げると、祭り感覚で参加していたからなのでしょう。
西南戦争後、西郷のようなカリスマが出現し再び内乱が起きぬよう、明治政府は、大久保利通や伊藤博文でなく、天皇を担ぎ出してカリスマに仕立て上げ、民主主義と結びつきかけた愛国心を、天皇を愛する事=愛国心として利用するようになっていく。
私が、支配者でないものが愛国を唱える事に違和感を持つのは、それが続いているからであり、彼らが国内で騒音を撒き散らし、反対の声をあげるものを脅しているにもかかわらず、日本の石油確保の為に義勇兵としてイラクへ行く者も、中国や韓国で部品を製作したり商業展開を行なっている企業製品の不買運動も、外来語の廃絶を訴える者も、モスクワの赤の広場へ「北方領土を返せ!」との街宣も、在日米軍基地に突入覚悟で抗議行動を起こす者もいない現状が、彼らの言行不一致を証明しているからだ。
藤原正彦の言うような「祖国愛」への言葉の差し替えでなく、姜尚中の言う「愛郷心」を先ずは、皆が住みよい地域への変革という形で具現化した後の集大成として、愛国心があるならば、受け入れやすいのではないかと思う。
お任せ民主主義に慣れきってしまい、汗をかけなくなってしまった大多数の人が、それに沿って行動できるかは疑わしいが。 |
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愛国心という言葉と天皇という存在は似ている |
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| 著者の鈴木邦男氏は少し前に「ハンセン病元患者宿泊拒否事件」で有名になった酒井徹氏のサイト(と言うより酒井氏が鈴木氏のサイトに間借りしている)で知りました。右翼の大物という振れ込みとは逆のリベラルな言動には当時から興味を持っていたのですが、最新刊が出たと言うことでこの本を手に取りました。教育基本法改正案が国会で審議されている今、遅きに逸した感はありますが、多くの人に読んでいただきたい本だと思います。
氏は三島由紀夫の思想を軸に、「愛国心」と言う言葉の危うさを穏やかに語っています。長年の右翼活動から体で学んだ柔軟な思考が、自然な説得力を生んでいます。氏は「愛国心の奪い合い」「愛国心はならず者の最後の避難場所」等の言葉でソフトに表現していますが、要は「愛国心」という言葉は、使う者によってどんな理不尽なことでも正当化できる、危険な言葉だと言っているのです。
氏が言うように、高々200年の歴史しか持っていない多民族移民国家であるアメリカならば、愛国心を教えることは国体の維持という点で重要なことでしょう。でも、日本では国を(郷里を)思う心は自然に持っていて当たり前の感情です。学校で教えなくともオリンピックになれば日の丸君が代に違和感を持つ人などほとんどいない社会で、ことさらに「愛国心」を教育する…。そのことの胡散臭さがはっきりと見えてきます。
後半で語られる天皇についても愛国心という言葉と全く同じ危険性があると思います。しかし今も昔も「天皇」が「愛国者」によって好き勝手にいじくりまわされている、という話をしながらその危険性に触れないのは、やはり右翼の限界でしょうか。まあ今の時代、いじくりまわされて本当に困っているのは当の天皇陛下くらいだとは思いますが。
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旧くて新しい愛国心論 |
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| 「にわか愛国者、アマチュア愛国者、おたく愛国者に、本当の愛国心を教えてやろう」という動機を元に、右翼であり自称日本一の愛国者である著者が日本の歴史や天皇制、そして自らの過去の告白を交えながら愛国心を論じたタイムリーな本である。
「愛」という言葉は、キリスト教をもとにした明治時代につくられた訳語であり、「日本人の情緒的表現の最高のものは、恋であって愛ではない」といった三島由紀夫の言葉をもとに、愛国心という言葉の中身を小気味よく「解体」していく。「上からの愛国心」「下からの愛国心」「愛国心の争奪戦」といった歴史的視点による考察は、なるほど実に理解しやすい。そして各場面で、愛国心やそれにまつわる言説や行動をしっかり複眼的に論じている。「愛国心はならず者の最後の避難場所である」といった著者にすると最も敬遠するべき言葉に対しても、一定の理解を示しながら、そこから言葉の中身を汲み取っていく姿勢は評価するべきであろう。
それにしても、終始一貫しているのは著者の寛容さであり、意見の対立する側からも何かを積極的に学ぼうとする姿勢である。「天皇制抜きの愛国心もあるだろう」として共産党も認めている。つまり必然的に「正論」「諸君!」を代表とする排外主義的愛国心に注文をつける内容となっている。
タブーだった愛国心論争も雪解けし、保守系の専売用語ではなくなった。「愛国心は心の中にもっていればいい」と主張する著者の意見に合わせて、この本を読んで、暇があればひとりひとりがこっそりと「愛国」とは何かをぼんやり考えれば、そこに何かしら新しい発見がでてくるかもしれない。 |