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| | | 「世間」とは何か (講談社現代新書) |
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東西の個人と社会そして「自由・平等・平和」の成り立ち |
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| 自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫 あ 4-3) は著者がヨーロッパ社会に興味を持ち、西洋中世史を志すようになった経緯をとおして、ヨーロッパ中世史を人間関係の変化から読み解いています。たとえば、なぜ自然科学や資本主義がヨーロッパに誕生し、発達したか。二つの宇宙(ミクロコスモス、マクロコスモス)の章では、なぜ中世人たちは、占星術を深く信じていたかや、神殿をめぐって「アジ−ル(避難所)」が語られます。唐突ですが、高校生が発した質問「鎌倉以降天皇の力が弱くなりながらもなぜ現代まで存続できたのか。」「なぜ、平安末、鎌倉という時代に優れた宗教家が多く現れたのか。」という問題に答えようとして、網野善彦は日本中世のアジ―ルについて「無縁・公界・楽(平凡社)」を書いたわけですが、この大きな質問は、この「無縁」原理がキリスト教会によって制度化され、ヨーロッパにのみ、なぜ自由・平等・平和の思想が生み出されたかということにつながっていきます。さて、人間関係といえば、人間と人間のあらゆる関係の総体を社会(society) と呼びますが、阿部氏は日本にはヨーロッパ社会と異質の、「世間」があることを指摘しました「「世間」とは何か(講談社) 」。日本の学者の大多数が日本社会を「社会」という言葉で論ずるとき、実際の日本社会「世間」とのずれを全く理解していないことを指摘しました。また、社会は、個人から成り立っていますが、日本おける個人のあり方とヨーロッパにおける個人のあり方は根本的に異なっています。ミッシェル・フーコーが指摘しているようにヨーロッパにおける「個人」の成立にカトリックの「告解」が深くかかわっていますが、阿部氏は、さらに中世人が告解をとおして「男と女の関係の問題」を「自覚」する中に個人の誕生を見たのです。(「西洋中世の男と女」筑摩書房)。 |
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世間は何かは人それぞれ |
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| 社会と世間との違いはわかったが、現代一般に使われている世間の解体はされずに終わってしまった。 |
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世間の謎 |
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| 多くの実例を元に日本に残る「世間」というものを解きあかした名著。
ある意味それは空気といってもいいかもしれない。
いまだに日本人の間に残っている「空気を読め」という言葉などもそうだ。
少なくとも日本人にはシロクロをはっきりつけるという意識は学者でもいまだに存在しない。
罪をおかしていなくても疑われた場合世間を騒がせて申訳ないと謝罪しなければならない。
特に後半の漱石を中心に分析した項は日本人がいまだに近代を迎えていないと痛感させられる。
日本の自称近代人や自称西洋学者たちが見てみぬ振りをしようとしたものをまざまざと見せ付けてくれる。 |
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