| 世の中には色んな人が居る。信じられない位に自分勝手な人も居る、誠実な人もいる。聖人君子も殺人者もいる。 人格に「格付け」「順序付け」「是か非」の枠を嵌めるのは社会だ。社会の存在が善悪を決めるのだ。世界にあるのは事実だけだ。 世界の全ては山形グラフで表せられるらしい。統計学というやつだ。なんかやな感じの考え方だけど、世界が何か一方に偏ってしまったらこんなに人類は永らえなかった気もするので、本当かもしれない。 それが本当なら、自分ひとりの小さい常識からは想像も出来ないような常識を他の誰かが持っていてもおかしくないし、またそれが自然だと言うことになる。ひょっとしたら同じ仕事先の人が、殺人や盗みなんて平気だと思ってたりするかもしれない。 それは社会から見れば「罰するべき」人間だけど、社会を取り去って見ればそんなことはどうだっていいただの一つの事実なのだとおもう。 本に出てくる登場人物達は、お互いを否定したりしない。 異を唱えたりしない。個性を否定せずあるがままを認めてる感じだ。 これこそが理想的な人間関係なんだろうなと思う。 でも私たちはムーミン谷でないところに住んでいる。 うっかり否定しちゃうし、それが正しいことだと思ってしまう。 それがその人の為になるはずだとか、あまつさえ思ってしまったりする。 そんなの嘘だと私は思いたい。 否定から、非難から、こきおろしから生まれる自由や幸福、創造性など無いのだと思いたい。 「社会」から見た人間像からものを考えちゃだめだ。人間は人間として見なきゃだめだ。「お年寄り」「子供」と自分の中でカテゴライズして接しちゃだめだ。相手は同じ人間だ。 殺人者は社会不適合者だから罰せられるけど、しかしその人にだって私には推し量れない喜びや悲しみ、そして幸せがあるんだと思う。 だからって私たちはムーミン谷に住んでいるわけじゃないのだ。 どうしたってがんじがらめに絡め取られる「社会」というものがあるのだ。だから苦しいのだ。 だからこそ戦わなくてはいけないのだ。 |