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ボードリヤールの入門書? |
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| RPGが流行りだした頃、世の中がこんなにも物語に餓えているのかと
驚いたことがある。ようやく大きな物語が薄れかけたかと思いきや、
人々は新たな物語を求め始めた。まるで、剥き出しのナマナマしさと対峙し
吟味することの責任から回避するかのように・・・
単なるモノとしての商品ではなく物語、つまり記号を消費する段階へと大勢
がシフトしはじめたということだろう。
本書はその頃の転換期を全面的にボードリヤールをタネ本としながら論じた
ものだ。
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著者の作家としての技術はどう権威付けられるのだろう |
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| ひとつ新しい物語が出来ればそのストーリーが既存の形として 後世の参考になるのは当然。新しい物語なんてものがないということも 昔のアイデアを組み合わせるという物語作りの過程を考えれば、限り無く 真実に近い事実であるなど、少しでも物語を作ろうと真摯に考えた ことがある人間からは当然すぎて面白みがない。だからどうしたとしか 読むほうとしては言いようがない。では、過去の物語を継ぎ合わせて物語を作るプロセスを熟知しているはずの 著者が、なぜ、万人受けなり、一部の好事家に高く評価される作品なりを コンスタントに生産できないのだろう。 この理論も所詮は物語について語る一端でしかないことを 自分で証明しているのではなかろうか? 作品に対して、技術なり、それを埋める情熱なりが与える影響について、 述べる力量に欠けてるのか、それとも意図的に議論を避けているのか、 是非、その方面について語った本を自分を題材にして 出してもらいたいもんだ(笑) |
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ビックリマン世代に読んでいただきたい。 |
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| 久々にショックを受ける内容でした。がつんと来ました。 「オタク」という言葉からほど遠い人でも、ビックリマン世代なら読むべきです。世界観だけを手に入れ、自分で物語を作る(または体験する)事を物語消費と言うそうです。つまりそれがビックリマンであり、または同人誌であると大塚氏は言いますが、しかしこの論文(?)が書かれたのは80年代。今で言うと、ネットゲームにあてはまるのではないでしょうか。そういう意味では「物語消費者」の人数は圧倒的に増えていると思います。 何が悲しいって、こういった物語消費が流行っている背景のひとつに、コミュニティーの崩壊が含まれているという事です。人間は誰でも優しく自分を包んでくれる世界で生きたいと思うものです。しかし世知辛い今、それもままなりません(涙)。自覚してるかどうかはともかく、潜在意識として「さみしい」みたいな感情がヒットの裏にあるのだとしたら....。 そういえばテレビゲームが一般的に認知されるようになったのは、ちょうどバブル崩壊後ですね。 色々と考えさせられる本でした。 |
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オタクなどという言葉で汚してはいけない。 |
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| なぜ、同人誌が作られるのか?ビックリマンチョコが売れるのか? この本の答えは、世界観である。舞台の設定である。 この指摘には、ぶっ飛んだ。 奥深いストーリーとはかくして作られるのだ、 キャラクターの関係性、歴史の設定、国の設定ルール。 地形や自然環境などなど このような環境設定があることで、物語は無限に増殖していく さすが大塚さんだ。 |
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ビックリマンの理由 |
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| 所謂、駄菓子屋なるものを、同時代的に経験した最後の世代と感じており、最近この手の店はあるものの、何か違和感を感じていましたが、この著作で疑問氷解いたしました。往年の駄菓子屋なるものは駆逐されたが、ビックリマンチョコレート(最近の玩食ブームにも)にその精神は脈々と受け継がれていたのだと感じ、何やらホットしました。私自身は単にこの手のものが失われたことを懐かしんでいたのですが、実はちゃっかり違う形で生き残っていて、いまどきの小学生を見る眼に、自然と優しさがこもってしまいます。小学生から思春期のお子さんをお持ちの方にぜひお勧めしたい本書であります。 |