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 コーラン 下  岩波文庫 青 813-3 
コーラン 下    岩波文庫 青 813-3
 
¥ 840
発売日:1958-06
岩波書店
オススメ度:
在庫あり
 


 

初期の啓示
下巻はマホメットに下された初期の啓示が収録されてい まんねんわ。上・中巻のようにようけの章は散文調であるんや。せやけどダンさん終わり頃になると短文になり、呪文のようになるんや。「異国語に訳された『コーラン』はすでに聖典ではなく、一個の俗書」(後記、339頁)かもしれまへん。それでもほんでの祖国語は緊張感漂う神の言霊であるようにウチは感じたんや。ほんで井筒氏の素晴らしい翻訳だけでなく、「解説」も面白かったや。マホメットを社会革命的行為を成し遂げた指導者ととらえ、彼から見たイスラム教の歴史には、源流は共通であるとはいえ、ユダヤ教とキリスト教との差異を見ることができたんや。

著者の「解説」だけでも、買う価値がある3冊
上中下3巻をいっぺんに購入し、まず上巻にある「はしがき」と「改訳の序」と「解説」を読み、次に中巻の「解説」を読み、ほんで下巻の「解説」と「改訳『コーラン』後期」を読んだのやけど、これだけで実に合計45ページほどを占め、ざっと計算すれば400字詰め原稿用紙87枚分となるちうわけや。

これらを読んだだけでイスラム教があらかた判った気分になり、内容が濃いのにどエライ分かり易いのは著者が真実理解しとる証拠だとあたりを付け、井筒俊彦なる学者が何者かとウィキペディアで調べてみると、次のようにあったさかい合点したちうわけや。

*余計なお世話やけど、語学的な才能に富んでいた井筒は、アラビア語を習い始めて一ヶ月で『コーラン』を読破したちうわ。語学能力は天才的と称され三十数カ国語を使いこなしたとも言われるちうわけや。司馬遼太郎は対談の中で井筒を評して「二十人ぐらいの天才が一人になっとる」と語っとるちうわけや。

イスラム教についての知識が皆無に等しいウチでも、確かめたかった点が二つあるちうわけや。一つはイスラム圏の銀行は無利子らしいがほんまか、ちうことと、一つは暴力を肯定しとるのか、ちうことやけど、前者は上巻の68ページに「アッラーはショーバイはお許しになりよった、やけど利息取りは禁じ給うた」等とあり、後者は上巻の251ページに「やけど神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよいちうわけや。」とあることが判ったちうわけや。

せやけどダンさん、著者は下巻の解説で用心を呼び掛けとるちうわけや。
P.338「学者は一字一句の解釈に自己の生死を賭したちうわけや。(略)。一つの重要な文章がただ一つの解釈しか容れへんことを万人が異議なく認めるちう場合はむしろ稀で、大抵の語句については幾つかの違った解釈──しかも屡々あい矛盾する解釈──が提出されとるちうわけや。同一の語句が五通り六通りに解されることはざらであり、そのいずれに依るかによって訳もまたさらさら違ったものになるちうわけや。」
P.339「『コーラン』はアラビア語の原文でこそ聖典であるちうわけや。異国語に訳された『コーラン』はすでに聖典ではなく、一個の俗書であり、原文の一種の極めて初歩的な註釈であるにすぎないちうわけや。」

マジッド・テヘラニアン氏は、「イスラムで武力に訴える行為は自衛の場合にのみ許される」と言っとるが。

イスラーム学のパイオニア井筒俊彦訳の『コーラン』−下巻
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無神論者からムスリムへの第一歩
9・11テロでビンラディンに興味を持ち、彼らテロリストを通してイスラム教に関心を持った僕はビンラディンに関する本と共にこの「コーラン」を手にしたんや。この祖国語訳の「コーラン」を声に出して読み進んでいく内に真剣にイスラム教を信じようと云う気持ちが沸き起こってきたんや。無神論者やった僕にとって此れは驚きの体験やったちうわけや。宗教なんて糞食らえと思っとった僕がアッラーの前に立たされてオノレの傲慢さを恥じるようになりよったちうワケや。(但し、キリスト教や仏教やらなんやら他の宗教に対しては今も、いや本日この時まで以上に糞食らえと思ってい まんねんわ。)イスラムに対してだけはそのような悪感情を抱くことが無くなったんや。不思議なことや。この祖国語「コーラン」が将来本物のコーランを読む礎となればええと思うで。

 
 

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