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| | | 家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 |
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日本の<近代> |
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| 近代家族という父親中心主義・長男中心主義(家父長制)にもとづいた家族史と経済学との関わりを論じた著書。日本の<近代>は、60年代高度成長期をつうじて完成した。もちろん<近代化>は明治から100年、一貫してつづいてきてはいるが、その変化の度合は一様でない。日本の<近代化>には大きな節目が二度ある。一度めは日清・日露の両戦争から第一次世界大戦を経て日本の資本制が成立する明治末期〜大正期の時代、もう一つの大きな節目は1960年代である。この二つの節目はそれぞれI期フェミニズムとII期フェミニズムに対応している(『家父長制と資本制』195ページ)。すなわち、女性の政治参加などを求めた法的な男女平等の要求(I期フェミニズム)の実現後も、男女の差別関係は家庭のなかに残ったのである。したがって、その解放が運動として広がった60年代以降の問題テーマを林芙美子の作品は先取りしていたといえる。 |
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分りやすく見事に整理された見取り図 |
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| 非常に明解。そして、面白い。90年の出版だが、状況は著者の予測通りに進んでい るように思える。 資本制に対する認識は、ウィーラーステインやイチイチの観点をほぼ共有していると いえる。独自性は家父長制と資本制の共犯関係と、その下部構造への視点にある。 そして、なにより、理論的に整理され、突き詰められている。 家父長制と資本制は独自の由来をもちつつも、搾取の仕組みを組み込むことで、とり あえず協調的な共犯関係を維持している。 家父長制も資本制と同じく、それを支える物質的・制度的な「下部構造」をもってい る。意識の転換や、イデオロギー批判だけの「上部構造」の問題ではない。 マルクス主義は市場分析には有効だが、世界=市場そのものではない。市場を支える 為に、巧みに市場の外部へと編成され、隠蔽されてきた領域を分析することはできな い。資本制と家父長制による、この抑圧された領域を「性支配」という軸で、その基 盤や仕組みを理論的にアプローチしてきたのが、「マルクス主義フェミニズム」である… 理論的な枠組みや他説との関係が整理されており、見通しがいいので、これを反駁す るのはなかなかしんどい。暗黙の前提を掘り起したり、労働のエロス的側面をどう扱 うのか、ということがいえる位(例えば、文化的装置は抑圧装置だから廃棄すべきだ というのはどうか?など)。しかし、著者自身が明言するように本書は、他のどの理論 書もそうであるように、首尾一貫を目指した大いなる「偏見」の書。理論的に反駁する 事によってしか凌駕はできないということか。 |
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